映画「朝が来る」のネタバレ感想です。
映画「朝が来る」の概要・あらすじ
- 監督:河瀨直美
- 製作年:2020年
- キャスト:永作博美、井浦新、浅田美代子、蒔田彩珠 ほか
映画「朝が来る」のネタバレ感想
いつものように私の価値観強め〜でお話しします。
養子に出す母親の家庭環境
まずこの子の家庭に問題あり。分かるけど、気持ちはわかるけど優先事項の選択にバグがある。
そりゃさ、こんな世の中ですもん。中学生の我が子が妊娠してしまいもう赤ちゃんおろせないとなったら親としては世間体を考えてしまうのは致し方ない。
中学生で妊娠だなんて親の教育、責任も疑われるかもだし、親ですから”子供を育てること”がどれだけ大変かも身をもってわかっていますもんね。
まあしてや子供が子供を育てるなんて想像するだけで怖かったと思います。
でも露骨すぎる。まるでその妊娠を”なかったことにしようとする”親の姿勢はさすがにひきました。
生まれてもすぐ養子に出してしまえばまだ大学受験できるとか、妊娠で “人生狂わす” わけにはいかないと考え。まるで赤ちゃんが悪の結晶かのように扱う。
この社会の息苦しさや悪しき慣習の縮図のように思えてしまいました。
無知だったからしょうがないよねって片付けられる問題でもないから、ヒカリに落ち度がなかったわけじゃない。
だけれども実際に子供を産むのはヒカリです。
まだ中学生であったとしても妊娠を機に母親として子に対する愛情が芽生えないわけがない。
そういった彼女の感情をフル無視して世間体大優先な親は、言い方はきついですが毒親のようにも映りました。
ついでに言うと、ヒカリの彼氏のシーンももう少し欲しかったです。
ヒカリの両親は露骨に妊娠をなかったことにするシーンが多かったですけど、彼氏の存在が後半少なくて。だから彼氏も彼氏で生まれる我が子、それどころかヒカリとのことさえもなかったことにしてないか?と私の目には映りました。
性の知識や幼さが仇となり息苦しい世界に染まる
性の知識がなかったせいで妊娠・・・ってことなんでしょうけど、それがどれだけ危険性を含んでいるか思い知らされる、この社会なんですよね。
それに加えてヒカリの場合はあの家族だし。なおさら息苦しかったように思います。
昔のように、ご近所さんと協力しあって子供を地域で育てるなんてそんな社会じゃないですから、誰にも頼れず。
ましてや中学生ってなったときに「知識がなかったから妊娠しました、子供を産みます、育てていきます」ってとんとん拍子にうまく流れない社会。
それもまた残酷なように思いました。
それが普通でしょって言われたら確かにそうなんですけど、私は普通だと思いたくないんです。
成人して結婚して子供が生まれるってなった時は祝福されるのに、それが中学生や高校生など10代(いろんな事情・状況下)で子供を産むと周りから白い目を見られたり批判の対象になってしまう。
「事情があるのね」でスルーできないこの社会。もちろんね、良くない事情だってあるんですよ。それは大前提なんですけど、ヒカリのようなケースだってあるじゃないですか。
生まれてくる子が可愛そうな人生を歩む可能性が高いから、だから未然に望まない妊娠は防ぐのも大事なのはわかります。それも大切な選択の一つです。
けれど深く考えずにそういう流れになってしまった親を叩きまくったり、親の気持ちをフル無視していいとも思いません。だって人間は、完璧じゃないから。
な、の、で!
こういう社会なのだから性教育は大事よなー・・・って当たり前のような意見に行き着くのですが、めっちゃ大事よなと。
知らないで選択するのと知って選択するのとでは結果に雲泥の差がつくし。
朝が来る「なかったことにしないで」の意味
そしてヒカリは我が子を出産し、やがてその後の交友関係でも失敗する。
最後は養子に出した親に脅迫までしてしまう。
お金欲しさであんな電話をしたわけじゃなく、里親に私た手紙に「なかったことをにしないで」って書かれていたように(消された形跡だったけど)、自分が子供を産んだ事は家族からはなかったことにされ続けたけど、ヒカリにとってはものすごく大きい出来事で辛いことでもあった。
なかったことにはしたくないって言う気持ちが、脅迫という間違った形になってしまったんじゃないでしょうか。彼女なりの表現だったんじゃないでしょうか。
妊娠・出産があったからこそ、ヒカリの人生は大きく変わってしまった。
それをなかったことになんて、されたくない。
それは自分の人生が狂ったから、だけではなく、愛している子供を育てられなかった、私は子を出産した、など、妊娠・出産にまつわる全てがヒカリには抱えきれないほど、とにかく大きな出来事だった。
それをお金や大人の事情、社会によってなかったことにされたくない。
その気持ちの末路が脅迫に至ってしまったのではなかろうかと、私はそんなことを思いました。
原作読んでないんで真相はわかりませんが。映画だけを観て、そういう感情になりました。
そう考えるとですよー、とても苦しく思いました。
裕福な家の世界
貧富の差についてもフォーカスされてましたね〜
高層マンション内の階層で判断される人間関係、そして「金持ちはお金で何でも得られる」的なセリフとか。
高層マンション中のマウントってか格差?前にニュースか何かで知ったけど、この映画でもありましたね。
子供同士のトラブルで、被害者とされる子供の母親が加害者とされる子供の母親に対してきつく当たり、子供の気持ちや言葉を信じようとする母親に対して、「マンションの30階のくせに」的な発言があったのはびっくり。
でもあえてこの映画で映したって事は実際にある光景なのかなぁーー
めんどい世界だなーと。
高層階の方が家賃高いから=金持ってるって判断されるんでしょうね。
住んでる階で判断される人間性・・
結局お金持ちはお金で解決する。(と思われがち)
そういった世界もあるってことを映し出したかったのかもしれませんね。
養子縁組だって子をしっかりと育てられるくらいのお金(斡旋事業者に払う手数料とか)がないとできないでしょうし。
けど裕福な世界には、裕福な世界ならではのしがらみというか、めんどくささがいっぱいあるんですね。
血縁や家族について思うこと
この映画は養子と里親の関係性ってよりかは子を産んだ母親の人生と里親家族の2つの家族にフォーカスしています。
だから血縁がどうとかってのはとくに触れてないんですが、養子と聞くと血縁の有無について考えさせられます。
結論から言うと、私の考えとしては血縁なんてどうでもよくて愛情の方が何億倍も重要って思います。
私は養子になったことも養子を受け入れたこともないので、説得力あること言えませんが、愛情に関しては経験があるのでどうしても言いたくなっちゃう。
これまでの価値観や常識的に、「家族は血がつながっているもの」「子供は自分のお腹から出てくるもの」って認識が強いですから、養子ってだけで様々な不安や葛藤がつきまとうと思います。
子供は血縁だ、というのが普通だと仮定すると、血縁のない子供は普通じゃない、ということになり、私たちは悲しいかな、普通を好みますので、普通でないことに関して不安を抱きがちです。
でも、子供において1番大切なのは血縁ではなく、紛れもなく親からの愛情。
血がつながっていても親から愛されなかった子供は非行に走ったり何かしら精神的にガタがくると思うんです。
反対に血縁でなくても親からたっぷりの愛情を注がれればちゃんとした人間に育つと思うんです。(あまり「ちゃんとした」とか「まともな」って単語は言いたくないのだけど)
溺愛や歪んだ愛とはまた違うんですが、物心つくまでに一定量の愛情を注がないと人間はダメになってしまうと思うんです。
(なんかそれに関するおぞましい実験が海外でありましたよね・・赤子に対しての残酷な実験が)
何が言いたいかって、血縁よりも大事なのは愛情!って私は思っています。
だいぶ、話がずれましたね。
まぁこんな感じ感想終わります〜